思考遍歴

19歳

当事者性バトル

 正直なところ、当事者以外は口を挟まないべきだと私は考えている。これは恐らく潔癖症の視点であろうが、しかし当事者以外があれこれ類推してゴシップを生み出すのを私は嫌というほど見たのである。そのせいで当事者間の関係にもつれが生じ当初の目的にも滞りが、という流れも莫迦になるほど見たのだ。だから、当事者どうしで話し合うことが一番望ましいように私には思えるし、それ以外の人間は粛々と黙っておけばいいと思っている。

 

 もちろんこれは絶対ではない。当事者以外に発言権があるからこそ、保たれる客観性もまた存在する。或いは、そこから問題解決の端緒が掴めることもある。ケース・バイ・ケースなのだ。良い時もあれば悪い時もある。私が見てきたのは専ら後者なのだが。それに前者の方が趣味が良い気がする。と、それだけである。

 

 恐らく、ここに私の弱味があるのだろう。当事者ではないからこそ書けない、という倫理が私の根底にはある。いや、当事者を名乗れるほど情報が足りていない、という言い換えが正しいのかもしれない。いずれにせよ、当事者ではないことに幾許かの恥じらいが私の中にはある。

 

 見えるものしか信じられないのは悪癖だろう。だがこの延長線上にバタイユがいるのである。奇妙な話ではあるが。