思考遍歴

19歳

『有罪者』評

 バタイユの寡黙を私は愛してきた。かれの沈黙はすなわち夜の静けさなのだ。存在の揺蕩う静寂において《何者でもない》の沈黙を聞き分けること。それこそが『有罪者』に流れる音楽なのである。私はこの音楽を万事において求めてきた。

 饒舌には歌い得ぬ音楽がある。その音楽は沈黙によって友愛を歌い上げる。結局のところ友愛なくして沈黙はありえない。沈黙には沈黙の語りがある。文脈の脱落する内奥においてしか捉えられない文脈がある。それを敏感に聴き取りその瞬間の不可能を理解すること。この不可能を知らずしてバタイユの友愛は語り得ないことだろう。

 我々とは《諸世界の底》において連帯する《何者でもない》人間のことである。そこには無限の可能性がある、無限の不可能を背後にして。