思考遍歴

19歳

黙想

 なんというか、30歳やら40歳にもなると、脈絡の無い生き方というのが難しくなってくるようだ。どれほどぶっ飛んだ言行を繰り返そうが、どこか拭いきれない倫理観がある。それは外的に規定される私が、内的に規定される私とに生じる齟齬を、無意識か有意識で認めていくということなのかもしれない。
 バタイユの『有罪者』が好きでよく読むが、わざと散らした文脈の中に、散らしきれなかった哀愁が感じられて、それがこの本を悲愴たらしめているように感じる。例えば、この本にロールのことがあけすけに書いてあったらば、そこまで悲しい書物にはならなかったかもしれない。或いは、アセファルの企てが潰えたことが書いてあったらば。────この本は形骸したものの声として私の耳朶をうったのだ。
 氏(伊藤計劃先生)がポストモダンを捨てたのは30代の初めのことだった。私は、氏が形骸化したものに辟易したものだと思っている。「From the Nothing, With Love.」を読むまでもなく、『虐殺器官』を読めばわかることだ。あれはポストモダンへの訣別の書ですよ。
 何かを持つには早すぎ、何かを持たないには遅すぎる、そんな時期が人生にはある。それから免れることは、まずできはしない。

 それとも、18歳の若造がこんなことを言うのは癪でしょうかね。