思考遍歴

19歳

ゲームの都市

 「人生」というゲームが存在する。ゲームシステムは極めてシンプルだ。まず数字の書かれたカードを用意し、一枚ずつ提示する。我々はその時々で取捨選択をし、相手より大きな数字を手にしたら勝ちだ。それでは、54、97、2、36、────

 

 小川哲先生はそもそも「ギャグ的なシリアス」と「シリアス的なギャグ」の使い手であって、「東京というゲームが存在する」という主張は、それこそちょっとしたおふざけ程度に受け取るのが適切である。実際『異常論文』に収められた論考「SF作家の倒し方」を一瞥すれば、小川先生がどんなアイロニイの持ち主かがお分かりいただけるであろう。もちろんその「東京というゲーム云々」の後続が本当に「警鐘を鳴らす!」である可能性を俄に否定こそできないが、恐らくそうじゃないだろうというのが私の自論である。というのも、『ゲームの王国』における「人生」というゲームの扱われ方を見てみれば、彼がどれほどゲームの扱い方に慎重か見て取れようというものだから。

 

 というわけで誰かがTwitter上で「人生というゲームが存在する。一番大きな数字を引けば勝ち」というのを私は待ち望んでいる。それが作品愛ではないんかしらん、と。